9/25 儚ない月に浮かぶ猿山

 児童養護施設…というところを知っているだろうか?

 けっこう間違えやすいんだけど、「養護学校」と「児童養護施設」とは全く別の存在で、前者は障害を持つ子どもたちが通う学校のことであり、後者はなんらかの事情があって親と一緒に生活することが出来ない子どもたちが保護されている施設のことである。(僕も最初は混同していた)

 この児童養護施設、聞いた話によると、特に近年はDV…ドメスティック・ヴァイオレンス(虐待)による保護も多いのだそうだ。


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 毎年Jリーガーが児童養護施設の子どもたちを招待して行われているサッカースクールがある。僕は縁があって一昨年からその活動を取材させてもらっている。(枕に書いた事情により居住先を知らせることができない子どもたちがいるため、一般の方の見学は不可なのです)

 スクールはいつもこんな風景からはじまる。

 まず、子どもたちのそわそわ感がちょっと違う。引率している施設の先生もいらっしゃるのだけれど、一般的なサッカースクールで目にするような、子どもが振り返ると親がいる、という家庭的な光景はそこには存在しない。
 施設の子どもたちは日常的に甘えることのできる対象がいない。だから、スクールのはじまりにはいつも、子どもたちが体中から発したい「甘えの素」のようなものが浮力のない風船のようにふわふわと会場に浮遊している。僕は敏感なタイプなのでその気配をいつも感じて、身体がよろけそうになる。そしてそのふわふわが子どもたちの気持ちをざわざわと逆立てている。

 スクールがはじまると、気持ちの高揚がスポーツで昇華されるせいなのか、子どもたちのぎくしゃくさした堅さが収まる。みんな、真剣にボールを追い、真剣に勝負を楽しむ。感情が飛び跳ねる。そして、伸ばしたくてたまらなかったその手を、その頬を、選手たちに寄せてくる。
 その姿は、今年から父親になった僕も日常的に目にしている光景でもある。自分をかまってくれる大人の温もりを肌で感じて、フィジカルとして安心したいのだ。
 気がつくと、会場のあちらこちらで、選手という温もり発信ボックスに群がる猿山が発生している。そこには、家に持ち帰りたくても適わない、儚げな幸せが満ち溢れている。


 選手たちも、常日頃相手をしている子どもたちと少し反応が違うことに敏感に気づく。そのうちに、選手という枠を飛び越えて、一人の大きくなった少年として、子どもたちと触れ合いはじめる。
 体育会だけあって、苦もなく子どもたちの胸に書かれた名前をどんどん呼びつけ、ハイタッチをし、抱きつき、転べば声をかけに行き、あらん限りの父性を自分のチームの子どもたちに振りまく。子どもたちは、そのストレートな気持ちの洪水を、目を瞬かせて、はにかみながらも全身で痛いぐらいに受け止める。
 日ごろは苦言を呈したい選手たちのシンプルさに、このときばかりは感動を禁じえない。

 人に触れたいという純粋な気持ちが、人と触れ合うことで育まれてきた精神と奇妙にきれいに交じり合う。こんな不思議でとても美しいスクールがこの世には存在している。その場にいられることによって、ありがたいことに、儚く切ない幸せの欠片を僕も少しだけおすそ分けしてもらえる。


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 こんな素晴らしいスクールなのに、取材はいつも少ない。
 サッカー専門誌だって来てもいいと思うくらいなのに。(子どもたちへの配慮がかなり必要になるという難しい問題もあるにはあるけれど)

 しかし、今回、スクールの後に子どもたちの代表が選手に向かってつっかえつっかえしながらも感謝の言葉を贈る姿に、涙しそうになりながら僕は思った。
 だったら、僕が書こうって。(ホームページのような場ではなく、ね)
 今年はもう無理だと思うけど、ただ純粋にもっと素晴らしい光景をいろいろな人に知ってもらいたい。頑張ってみます。

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 あっ、ちなみにゲームレポを更新できなくて、本当にごめんなさい。来月の後半には落ち着くと思いますので。はい。