6/29 コラム(転載)

   東北遠征に行ってきた。
  …とは言っても、仙台と山形に1泊2日の短期間遠征だけれども。 1日目、仙台の夜に古い友人と10年ぶりくらいに会った。

 僕は高校の2年間を宮城県の南部で過ごした。いやになるくらい古臭く、鼻がへんになるくらい男臭い男子校だった。応援歌が10曲以上もあって覚えないと晒し者になった。漫画に出てくるような学帽を持った応援団長がいたのだ。(学校自体は私服だったのに…)先生のしゃべっている言葉がさっぱりわからなくて授業中に困ったこともあった。

 もちろん、いいところも沢山あった。四季折々の自然が見事なくらいに豊富だった。周囲の景色の色美しさにはいつも目をとられた。学校に隣接する城山にはリスが住みつき、休み時間に校舎から目を移すと、リスが枝間を愛らしく飛び移るさまが見られた。
  その城山を挟んだ逆側には女子校があった。男子校と女子校は古い戯曲のように引き裂かれているわけではなく、あまりにも牧歌的にただただ存在していた。実に田舎的に。東京で長く過ごした僕にとっては、不思議で、不可思議で、夢を見ているようで、しかし懐かしいくらいに美しい2年間だった。

 当時の僕は都会である仙台にはまれにしか出かけなかった。財布も侘しかったし、夜の8時を超えるとバスが動かない地方に住んでいたからだ。繁華街の国分町はいつも眺めるだけの、きらびやかな眩しい世界だった。

 その国分町に初めて足を運び、久しぶりの旧友とビールを飲んだ。焼いたイサキと鰈の刺身をつまみながら、昔話を肴にして。ああ大人になったんだな…って久しぶりに実感したひと時だった。応援団長の顔や女子校のそばにあったパン屋の店先やチェリオの味が、頭の中にさらさらと音を立ててよぎった。珍しくビールがほろ苦く感じた。その夜は、翌日の取材を忘れて何軒もはしごをして、国分町を徘徊した。今までの4半世紀を取り返すように。できることなら制覇したかったくらいに。

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 コンフェデレーションズ杯のブラジル戦は引き分けに終わり、日本はグループリーグを敗退した。
  引き分け。この結果について、個人的には不満はない。
  問題は内容だ。ギリシャ戦で見せたあの輝きは片鱗を見せただけで終わってしまった。残念ながら、日本が発した輝きの秘密は僕にはわからないままだ。

 アジアカップで、最終予選で、コンフェデレーションズ杯で、積み上げてきたチームがその煌く成長を脱ぎ捨てて卒業する。次の代表はまた最初から始まる、新しいチームだ。おそらく、あのギリシャ戦が日本の現在の最高の姿なのだろう。
  なんだかほろ苦くて感じたブラジル戦だった。
  それは僕が「今の日本代表はこんなものではない」と思っている一人だからなのかも知れない。