6/22 コラム(転載)

  先日、買い物帰りに公園の木立の影に咲く紫陽花を見つけた。
  この時期になると街中の庭先に咲いている花なので、さして珍しくもないのだけれど、その紫陽花は驚くほど抜けたウルトラマリンブルーだったので、妻に教えつつ同意を求めた。

「あの種を拾って植えれば、あんなきれいな色が出るのかなあ?」
  何気なく妻に訊いてみた。
「違うのよ。紫陽花の色は土壌と関係があるの。だから種だけではうまくいかない」
  妻はそう答えた。
「酸性とかアルカリ性とかが関係するってこと?」
  無知な僕は続けた。
「そう」妻はしたり顔で言った…に違いない。車を運転中なので後ろを振り向けないのが残念でならない。「――リトマス試験紙と同じなのよ」

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 紫陽花の咲くころになってくると、畑には美味しい作物が実り始める。この冬、いやになるほど高かったトマトも箱売りで買えるような値段になった。
  食事における野菜の占める割合が高い我が家では、逃すものかとばかりにテーブル中が野菜で埋め尽くされる。

 中でもここ数年の流行が伏見とうがらし。
  長くて立派で青々とした伏見とうがらしを網で焼き、鰹節を散らして醤油を少々たらす。仄かな苦味がエビスビールにぴったりとあう。これで茗荷の千切りをつまにして生姜をたっぷり利かせた鯵のたたきと胡瓜と茄子の糠漬けがあれば言うことなし。
  ああ、夏っていいなあ。
  暑いから冷たいビールが旨いってだけじゃなく、食べ物も旨いんだもの。

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 コンフェデレーションズ杯ギリシャ戦で日本代表はどうしたことか変身してしまった。
  驚くより他ないくらい見事に。
  元来、サッカーの場合もチームの色は土壌と密接に関係する。特に個を重視した場合、その国の育成が持つ土壌を明確に現す。個人技主体の国、フィジカル主体の国、戦術主体の国。僕はずっと前から書いてきているけれど、代表というのは僕たちを現す鏡のようなものだ。僕たちが持ちえていないものは、代表もまた持ちえていない。鏡であり、リトマス試験紙なのだ。

 この日本代表チームはギリシャ戦で日本サッカーの積み重ねのようなスタイルをついに自ら表現し始めた。ギリシャのコンディションが多少悪かったとしても関係ない。紫陽花のように土壌が持つ色をきれいに創りだした。

 

 問題は、この色を表現するきっかけがなんだったのか、だ。
  もしかすると、ジーコがその責を果たしたのかも知れない。でも、まだわからない。彼には素直にそう思わせないだけの実績がある。(それを実績と呼称できるかどうかはわからないけれど)
  けれども、次のブラジル戦にそのヒントが隠されている可能性がある。
  刮目して次戦を待とう。