7/17 それでも、いま、走り続けている

 腰痛のリハビリと肉体強化のためにジョギングを再開した。2kmと3.5kmコースを設定して、自分の調子によって選択できるという僕らしい南国的で緩やかな(適当な!)ルールで運用しているところであります。はい。


 並木道の直線コースを走り抜け、猫の集会場になっている公園を通り抜けると、高い金網に囲まれた荒れた雑木林がある。
 話によると、米軍の通信施設跡地だということ。でも、なにかが示されているわけではないので、少なくとも10年は人の手が入っていないということくらいしか僕にはわからない。それほど――林にしか見えないほど、荒れている。

 その金網の横をしばらく走ると、2階建ての建物が緑の中から姿を現す。少し昔の講堂のような長方形に近い建物だ。林の中にひっそりと佇むその姿は、なにか外国のホラー映画に出てくるような重く苦しげな趣がある。はっきり言って、びびりの僕としてはなかなかコワイ。

 緑色のトタン屋根があるその建物の2階の部分には鉄格子のような柵がついている。なぜ、柵があるのだろうか...。
 もちろん、窓ガラスは気持ちがいいように割れている。
 道路に面した1階の壁には扉の跡が数枚あるけれど、背丈ほどの雑草に阻まれ中が良く見えない。

 走っていくうちに、一箇所だけ中が見える扉に差し掛かる。毎日のようにここを通るけれど、怖いくせになぜか立ち止まって中を覗き込んでしまう。

 建物の中は薄暗い。なにがあるのかよくわからない。なにかがあるようにも見える。なにかが見えそうな気がする。きっと、なにもない、ただのがらんどうなのかもしれない。でも、そこにある未だ見ぬなにかに、僕はいつもいつも驚くほど怯え、かつ強く魅せられている。

 動いているうちに角度が変わり、中が見える扉から、反対側の扉が見えるようになる。薄暗い中に、建物の向こうに明るく脈々とした緑の密林風景がぽっかりと浮かぶ。救いのように瑞々しい。
――デュフィやボナールだったら、こんなところも窓のある風景として上手に描けるのだろうなあ――なんて考えながら、ようやく安堵してそこを通り過ぎる。
 ジョギングというのも、これはこれでなかなか大変なのです。うん。


 そんなジョギングの後半戦、こんな街中に不思議と咲き誇る力強い山百合の姿を横目に見ながら、僕はややスピードをあげる。そして、昼なお暗い九十九折の心臓破りの坂に差し掛かる。

 坂は雑木林と多磨霊園の境目にある。
 坂にはいると藪の青い匂いが鼻腔をくすぐる。やがて熱帯的に甘酸っぱいくちなしの香りがどこからか漂ってくる。目が回り、自分が何処にいるのかわからなくなってくる。

 僕はいろいろな想いを抱えながら坂を駆け上がる。鼓動のうねりが高まる。鼻と喉が渇く。ふと、遠い昔に見たなにかを思い出す。それは、木々の隙間からのぞいている嫌なほど青い空なのかもしれない。MDウォークマンは申し合わせたように「八月が千もあるような―」と歌っている。おそらく単なる夏が見せる幻なのだろう。白日夢っていうのかもしれない。きっとそうだ...。

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 それは置き去りにされた建物の中にある薄暗いなにかなのかもしれない。
 坂を上る先にあるなにかなのかもしれない。


 でも僕は「それでも、いま、走り続けている」ということを知っている。

 そういうことだ。頑張れ、みんな。


 ――2004/7/16の発表に寄せて――