4/28 成長の度合い

 春風に誘われるようにして息子が生を受けてから70日が経った。いやはや、子育てというのは体力がいる。肉体年齢がプラス10歳くらい上回っている僕としては、筋肉痛や腰痛との戦いの毎日だ。

 でも、楽しく話をしながらほっぺたを突っついた時に、にっこりと笑われた日には、そんな大変さなんかは王家の谷の落とし穴もしくはイグアスの滝壺あたりまで吹っ飛んでしまう。

「おっと、坊ちゃん、なにがご希望ですか? どんなことでもあっしにお任せくだせえ。オムツを換えますか? それともサンタルチアでも歌いますか? さあ、さあ、なんなりと言ってくだせえ」

 僕は腰をさすりさすり、しもべ的父ちゃんと化してしまうのである。

 喃語で語りかけられるのにも実に弱い。

「えうー」
「そうですねえ、ジーコ監督は潮時ですねえ」
「あうー」
「坊ちゃん、良いことを言いますねえ、人間引き際ってえのが肝心ですものねえ」

 妻のあきれた視線もなんのその。楽しい論議に花が咲く。

 よくメロメロでしょと問われるのだけど、こんな状態なものだから、頷くより他に方法はない。できる抵抗があるとしたら「メロメロで悪いかバーロー」と逆ギレすることぐらいである。(まず、しないけど)

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 このように親バカ状態でありながらも、新米ときているものだから、成長度合いというものがなにかと気にかかる。

 順調に育っているのだろうか。
 過不足はないだろうか。
 みるみるうちにほっぺたが垂れてきたんだけど、大丈夫なのだろうか。
 お風呂に入るとおしっこをするのはなぜなんだろうか。
 先日、気まぐれに子守唄で「誰がなんと言おうと、まわりは気にするな―」と歌ったら眠ってしまったのだけど将来が心配だ。etc....

 できれば「僕、このくらい育ったよ」と手をあげて自己申告してくれればいいんだけれど、残念ながら世の中そんなにうまくは出来ていない。

 いろいろと研究した結果、兆候を探して一喜一憂するのは楽しいけれど、あくまでもリクリエーション的な要素が強いことがわかった。
 やはり、成長というのは昔からやってきたように「なにができたか」という実証で推し量るのが一番である。息子はもう少しで首が据わる。これが最初のステップとなる。

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「フランスのワールドカップでの成功は30年間にわたる指導システムの勝利である」

 エメ・ジャケは、99年に来日した際にこう演説して、日本の育成担当者たちを大いに勇気づけた。

 自国開催のワールドカップで悲願の優勝を成し遂げたのは、30年をかけてシステムを作り上げてきたフランス・サッカー協会の指導・育成システムの賜物なのである。私は、たまたま自分が監督であるときに優勝を勝ち得ただけなのだ。

 実に素晴らしい発言である。田嶋さんあたりは涙を流して喜んだに違いない。S級の講座でこの話は使われていたそうだし。
 また、エメ・ジャケはこうも語った。

「一つの国がサッカーで成功するには、ユースの育成と指導者の育成が鍵となる」


 日本の若き代表がアテネ行きを決めた時、ギリシャ遠征ですごいグラウンドと格闘している時、3年半前に聞いたこの言葉をぼんやりと思い出した。
 日本の指導者たちの努力は、着実に実をつけ、進歩しているんだなって。

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「谷間の世代」
 これがこの若き代表選手たちに付与された、あまり喜ばしくない表現だ。確かに突出したタレントはいない。大久保や田中達也などは素晴らしいタレントではあるが、まだ彼らだけで試合を決定付けられるようなレベルには到達していない。

 このチームがアジアを勝ち抜き、海外遠征で威風堂々とした試合を展開している要因は、その平凡さにあるのだと僕は思う。特筆すべき非凡さはないが、基本技術や運動能力、戦術能力など全ての分野におけるアベレージが均一的に高いのだ。ハイ・アベレージの平凡。それが山本監督いわくの「選手層の厚さ」なのだろう。それゆえに、追加召集される選手が悉くチームにフィットして活躍できる。

 スキルのアベレージが高いということは、若い年代で過不足のない指導を受けたということを示している。これは指導者講習会やナショナルトレセンの効果が現れているということでもある。

 エメ・ジャケの話を教えてくれた、当時北信越のナショナルコーチングスタッフをしていた反町氏は、2000年の10月に筑波西武の鮨屋で、シドニー五輪で活躍した選手たちの成長を評価してこうも語った。

「日本サッカー界も、Jリーグが始まる前からユース年代の育成に本腰を入れ始めて、10年経ってようやく素材が結実してきたわけです」

 谷間の世代がアジア予選を勝ち抜いてきたのは、アベレージの高い選手たちの力もあるし、表裏一体で育ってきた指導者の力もある。けれども、一番大きな力だったのは、突出した力なくしても勝ち抜けるようオーガナイズしてきた日本サッカー界の進歩があったからだ、と僕は思っている。

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 仮に栄光が掴めるまでの道程がフランス的に30年間だとしよう。
 では、日本のサッカーは30年のどこまで到達しているのだろうか。指導者たちが育んできた現在のアベレージはアジア止まりなのか。それとも世界標準に届いているのか。
「なにができたか」「なにができるのか」「どこまで来ているのか」
 8月のギリシャが饒舌に語ってくれることを、普段より多めのビールを用意しながら期待することにしよう。