2003年12月11日 バケツの中身

 今年はずいぶんと暖かいなあと思っていたら、突然がくんと寒くなった。

 ご存じのことだとは思うけど、僕はやたら脳天気な人間なので、暖かい気候がとても好きだ。それも、できることならば暑いくらいの方がいい。だって、暑い方がビールが美味しく飲めるんだもの。ああ、バンコクとかサイパンで、てれんとしたハワイアン・シャツにごわごわした綿のショートパンツとBataのビーチサンダルなどといういかにもだらしのない格好をして、あちいあちいとぼやきながら、ガイヤーンやソムタムをつまみにビールをごくごくと音をたてて飲みたいものです。うん。

 そんなわけで、僕は寒い季節がとっても嫌いだ。
 寒くなった途端に、きっぱりと外出を控えてしまう。できることなら、妻と猫と一緒にハムスターのように家に引き蘢って暮らしたいなって思う。(先日、妻にそう言ってみたら、あたしはたまには外に出たいよ、と断わられたけれど)

 だけど、街中が冬に変貌するその刹那――季節のうつろう色彩や、秋の存在そのものが薄れていく姿を見るとなると話は別になる。いきおい、コートに身を包んで外に飛び出す。冷たい空気を胸いっぱいにすうと吸い込む。そして、河原に佇む思慮深そうな鷺を真似て、去り行く秋の背中をぼんやりと眺める。寒い寒い。ぶるぶると肩を震わせて。…今晩は鍋で熱燗かな。にたにたと頬を緩ませて。

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 とまあ、寂し気マニアの僕にとって、去り行く季節の美しさや寂しさは格別のご馳走である。
 夏の終わりの喪失感などは殊更で、うーんと悶絶しながら倒れてしまうくらいだ。幽かになっていくヒグラシの声、茜色の空にぽかんと漂う場違いな入道雲、色が薄くなった日焼けのあと、破れた捕虫網、ついと通り過ぎる涼やかな風、突然旺盛になった食欲。こんなアイテムに遭遇すると、半径1kmは気配を察知できる僕のJISマーク付き高性能寂し気アンテナはびりびりとしびれてしまうのだ。

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 そういえば、昔、季節の終わりの喪失感を感じさせる映画があった。僕の寂し気アンテナがいつになく満足した映画だ。
 夏が通り過ぎようとしているオレゴン州の大自然の中を、四人の坊主が寝袋を抱えてとぼとぼ歩く映画。そうそう、「Stand By Me」。これはスティーヴン・キングの原作より、リバー・フェニックスの完成度の高い坊主頭のお陰もあって、映画の方が好きだったりする。
 中でも、キャッスル・ロックというゴミ捨て場で休むシーンが好きだ。

―わたしたちは自分が何者であるかをちゃんと承知していたし、これからどこに行こうとしているのかも、ちゃんと承知していた―

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 映画を観たことがある人はわかるだろうけど、ストレートに情景で語るのであれば、この「わたしたち」はどこにでもいる背伸びをした凡庸な12歳の少年で(凡庸じゃない12歳なんてそうそういないけど!)、「どこに」と言えば、事故死体を見つける冒険旅行で、丸一日歩かなければたどり着けない町外れにあるサウス・ハーロウの森に向かっていた。

 ただ、この言葉を縦糸にして映画を眺めると、いくつか別の意味が含まれていることにも気がつく。まあ、メタファーってやつだ。

 例えば、まもなくすると就職組と進学組にクラス分けされるのを知りつつ最後の無邪気な夏を遊ぶ僕たちであり、その先の全く方向が違う大人への道に向かってすでに歩きはじめている、ということ。

 別の意味としては、向かっているところは、サウス・ハーロウの茂みの中でひっそりと冷たい夢を見ている事故死体少年レイ・ブラワーが象徴する、終焉という名のぽっかりと空いた暗い穴。
 そして、その暗い穴に向かって、予期せぬ汽車に追われながら、吸血ヒルの巣食う沼に足を踏み外しながら、好奇心と恐怖、成功と挫折、夢と希望に満ちあふれた長い長い人生という旅路を歩む冒険者が僕たちだ。

 自分が何者であり、どこに向かうのか――
 それを知らなければ、どこにも行けない。

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 夏前にスターチャンネルで久しぶりに「Stand By Me」を観て以来、どうしてもこの言葉とジーコ監督の姿が重なってしまう。

 彼は、幾度か訪れたことのある「あの場所」の形も匂いも怖さも悲しさもすべて知っているのに、そこへ漕ぎ着く術をさっぱり承知していない。さらには「自分がそれを承知していないという事実」をうすうす感じているのに、フタ付きのバケツに閉じ込めて重しを乗せてしまっている。

 僕は言ってあげたい。
「ねえ、バケツの中に入っているものがなんなのか、みんなすっかり気がついているよ。だから、安心してそのフタを開けたらどうだろう」

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 そして、ジーコ監督を見ると、僕の高性能な寂し気アンテナがびりびりと騒ぐ。終わりは近い――のかも知れない。