2003年6月26日 象徴が記号に戻る時

 寒さも厳しくなりはじめた12月の初旬。
 鹿島の美しい芝の練習グラウンドでは、冷たい空気の中で選手たちがトレーニングに没頭していた。そのグラウンドの奥の方でのんびりと日向ぼっこをしているジャージ姿の男性がいる。少し陽をあびたかと思うと、軽くのびのびとストレッチをする。腰でも痛いのだろうか。なんだか無理をして郊外に一軒家を買ったサラリーマンのような哀愁が滲み出ている。おじさん、お茶でもどうですか。背中に声をかけたくなる。
 それがジーコをスタジアム以外ではじめて見た時のことだった。確か1998年のことだったと思う―。

 おっと、誤解のないように言っておくけど、ジーコは僕の青年期のアイドルだった。(少年期はヨハン・クライフ)81年のトヨタカップでショックを受けた僕は、82年も86年もブラジルの勝利を望むただのサッカーフリークスだった。アイドルというよりも、僕の青年期におけるサッカーのシンボルの一人といったほうがすんなりするかも知れない。

 だから、ジーコに会えたこの時はついついサインをねだってしまった。自分のためにもらう初めてのサインだった。近くで見ると、本当にさえないおじさんだったけど、本物のジーコだった。片思いの子に告白する中学生みたいに胸はどきどきした。色紙を差し出す手を見ると微かに震えていた。

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 突然、女の子から電話がかかってくる。それも明け方の4時。RRRRRRRR。彼女は、どうしても教えて欲しいことがあるの、と電話の向こうから語る。
 ―記号と象徴の違いを教えて欲しいの―

 これは村上春樹の「スプートニクの恋人」の有名な一節である。記号と象徴? なんの関連性があるってんだ? ほとんどの人はそう思っただろうし、その違いのことなんか想像さえもしなかっただろう。だいいち、記号と象徴の違いを知らないからって、どうなるっていうんだ。マクドナルドで追い返される訳でもなければ、自動車免許がとれない訳でもない。TSUTAYAの会員にもなれるし、結婚だってできる。生きていくにはまったく問題ない。ふん。

 だけど、もちろん村上作品らしく、主人公はしっかりとその質問に答える。象徴は片側通行で、記号は相互通行である、例えば天皇は日本国の象徴だけど、天皇は日本国の記号ではない、と。主人公は知識人なので、きっとC・G・ユングが象徴と記号を峻別していることを知っていたのだろう。もう少しわかりやすく言うと、記号とは対象とイコール的(=的)に互換可能なもの、象徴とは対象もその周辺も含みつつも限定ができないようなものの上級表現、という感じだろうか。

(ユング関係の書物では「置き換え可能な類似物や略称を記号的把握、決して完全には知りえないなにものかの可能な最上の表現を象徴的把握」とある)

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 コンフェデ杯予選敗退によって、2003年春の代表強化ラウンドが終了した。3カ月の間におよそ30日の強化日程があり8試合が行われたことになる。3戦で課題抽出、合宿で修正、2戦でアジャスト、合宿で修正、3戦でプレゼンテーション、というワールドカップ翌年にしてはゴージャス過ぎる、他国の強化担当者垂涎の日程だった。
 まあ、こんなにしっかりプレゼンしてくれたんだし、日本代表は僕たちの代表なんだもの、僕のような路傍のおじさんだってきちんと評価すべきだろう。楽しんでくれる人だっているかも知れない。うん。

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 さて、この8試合の収穫はけっこう多かった。
 分かりやすいのが、新4バックのメンバーと遠藤という、チャンスを待ち構えていたサブの選手たちが台頭してきたことだろう。また、大久保という若手も頭角を現わしてきた。

 それから、日本の選手が個人の実力を十二分に出せば、世界でもそこそこ通用するようなプレーができることがわかった。コンフェデ杯で善戦したのはチームの力というよりも、やはり個人の力であったということが否めないからだ。簡単なコンビネーションはあっても、2次3次と組織で崩すという場面は、ほとんど見受けられなかった。
 ただし。その個人の力を引き出したのがジーコ監督であることは言うまでもない。

 けれども、そこまで選手の実力があるとわかっていても、日本よりコンビネーションがなく、日本より行き当たりばったりだったフランスに、個人の持つフィジカルと技術と戦術能力だけで負けてしまった。これは、トップクラスとはまだまだ個人の力が開いていることの証明でもある。組織の必要性を感じざるを得ない。

 そしてなによりも、予想はしていたことだけど、ジーコ監督が戦術や課題を修正するコーチとしての手法…引き出しが乏しいことが明らかになった。
 攻撃面では徐々に良くなってはいるが、サイドチェンジや2列目3列目の飛び出し(サードマンコンビネーション。たしか公認C級くらいで指導法を学ぶはず)、など簡単な手法が出てくるまでに時間がかかりすぎる。特にディフェンスに関するコーチはひどく、初歩的な課題さえも修正できるまでにかなり時間がかかっている。さらに言えば、修正は選手の判断に依存している可能性を否定できない。コンパクトもプレスも概念だけで、細かな指導もなさそうだ。
 また、選手起用、選手交代、試合中のペース運用などのいわゆる采配面でも行き当たりばったり感を拭えない。
 このまま行けば、自由自由とは言いながら、多かれ少なかれ、選手たちは必要に迫られて「約束事」という名前の組織を築いていかざるを得なくなるだろう。
 こう考えると、現在のジーコ監督のコーチ能力はお世辞にも高いとは思えない。

 ジーコ監督は、コーチという現場での実務だけを見ると、まるで、あの冬の練習場で見たような「ただのさえないおじさん」という記号的表現ができてしまうのだ。

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 しかし、成果も現われた。選手が自分の持てる力を十二分に出せたからだ。
 私が責任を持つから自分たちのできる限りのことを自分たちの責任においてやりなさい、とジーコ監督に言われるまで出来ないというのもプロ選手としては寂しいものがあるんだけれど、特に中田英寿のリーダーシップを引き出したことを含めて(というかこれに尽きるんだけど)、自信の回復を行ったというジーコ監督の功績は大きい。監督の仕事は、ゲームプランや采配や戦術や指導だけではない。選手を掌にするメンタル・コントロールはとても重要なファクターだ。たとえ選手が甘えているだけだとしても、だ。
 サッカー界のシンボル、神様ジーコの懐に抱かれて見る夢はきっと心地良いのだろう…。その気持ちはわからないでもない。

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 それを前提とした僕の結論。
 サッカーの全てを含むが、実体はすでにない神様ジーコの日本代表における存在。この取り替えの効かない象徴は活かしながら、さえないサッカーコーチという記号を取り替えたい。解任もひとつの方法だと思うが、現在の選手たちのモチベーションを失うのは些かもったいない。中田や中村が見せた、組織の自由さではなく、気持ちの自由さを後進にも継承して欲しいのだ。

 なので、就任直後の意見と同じで恐縮なんだけど、ジーコを鹿島の場合と同じように総監督的立場に昇格させ、4バックをソフィスティケートさせることができ、なおかつ攻撃の組織を示唆することができる人物を実務監督に呼びたい。その実務監督が、例えば山本守備コーチという形なのだとしてもいい。

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 いつしか象徴としての神通力は消える。有効期限があるからだ。記号としてのジーコに戻る時が、時間の営みによることを僕は願っている。