2003年5月12日 差し出されしもの

 以前、ある女性作家が文学賞の受賞時に言ったというコメントがずっと僕の中に棲みついている。

「夫も子どもも捨てました。私にはもう小説しかない」

 どうしても手に入れたいものを掴むために、大切なものを手放す。まるで、見果てぬ知への欲求を窮めるため、悪魔に魂を売る契約をしたという学者ファウストの伝承話を彷佛とさせるコメントなのだけど、実に現実的なことでもある。どう足掻いても、自分は一人きりしかいないし、一日は24時間しかない。これは今も昔も変わらない事実だからだ。

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 若いんだからカラオケにも行きたいだろう、青春も謳歌したいだろう―

 知人宅で見たらちょっと後ずさってしまうような、そんな言葉からはじまる文章が模造紙に書かれ、さほど広くない部屋に飾ってある。今年の1月にNHKで見たセレッソ大阪寮の大久保の部屋だ。
 ―いろんな事を我慢して、サッカーに打ち込んでこそ、栄光が勝ち取れるのだ―
 要約すると、そのような事が書いてある。

 末尾を見ると、鹿島監督代行ジーコ、という署名があった。日本語で「鹿島監督代行ジーコ」と書いてあると、僕のようなすれた中年は、なんだかあやしげだなあ、とか思ってしまう。
 画面の向こうでは、大久保がいかにも照れくさそうに話をしている。
「これって、いいこと書いてありません?」
 どのあたりが、とアナウンサーが返す。記憶を探るような短い間の後に、大久保が答える。
「全部。これを読むと元気がでる」

 この文章を読んで元気が出る…すなわち救われるということは、本人が犠牲にしていると思っている事柄が多いことを意味している。確かに、大久保がプロ入りしてからのスケジュールはハードだ。

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 この文章がジーコの言葉だから、というのもある。克己復礼を語るジーコの言葉には、どうも説得力がある。それは彼がストイックな鍛練を実践してきたということが知られているからだろう。ちびでやせっぽちだったジーコが14歳でフラメンゴに入団してから、肉体を文字どおり「改造した」というのは有名な逸話である。青年期の様々な欲望を抑えて、徹底した栄養管理に基づく食事療法を行い、ウェイト・トレーニングに明け暮れ、扁桃腺手術を行い、さらには外科手術で歯の噛み合わせの矯正まで行ったんだそうだ。その徹底ぶりが凄まじかったので、外見が良くなるように顔も整形したという噂さえあったという。

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 ストイックというと、Jリーガーだけで行われる準指導員資格講習会の取材をした時に見かけた相馬の姿を思い出す。一連の実技指導の後、皆が乗車した宿舎に帰るバスをひとり見送り、緩い登り坂で負荷をかけながら、ゆっくりとダウンのジョグを行う姿。まるで修験者のようだ。おそらくは以前負傷した前十字靱帯のケアなのだろう。そう言えば、北沢豪にJのプレビュー・インタビューをしたおりに、相馬がヴェルディにいた時の膝のケアはものすごいものがあった、と話していた。
 鹿島でも、最後に練習をあがるのはいつも相馬とのこと。そうなんだろうね…。

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 そんなシーンや姿を見る度に思う。サッカーは、選手たちが栄光への切符を手に入れるため、引き換えに差し出したなにものかの上に存在し、眩く光を放っているのだな、って。五月のフィールドが初夏の陽光を浴びてぴかぴかに光るのは、決して健やかに伸びた夏芝の生命だけではない。引き換えに差し出された選手たちの幾多の希望や可能性が、うたかたのように打ち捨てられ、鏤められているからなんだ。

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  この5ヶ月の間に58人の選手の短いインタビューを行った。ほとんどの選手が、引退後に出来ればサッカーに関わる仕事がしたい、と言う。他のことはわからないから。ずっとサッカーだけをやってきたから、と。中にはすでに引退した人もいる。サッカー関係の仕事につけていない人もいる。
 差し出されしものは――あまりにも大きい。