2003年4月21日 ノスタルジー

 先日、中学校に進学できることになった姪の入学祝いに時計を贈ってあげようと思い、妻と二人で国分寺の丸井に出かけた。やはり女子中学生になるのだから、ここはひとつシックでおしゃれな時計を買ってあげなくてはならないだろう。うん。
 ところが、勢いこんで出かけたにもかかわらず、そんな時計はまったく見当たらない。おしゃれなものは中学生にそぐわず、カジュアルなものは僕のイメージにはあわない。

 困ったなあ、と思っていたら、どんなものをお探しですか、と店員が声をかけてきた。探しているものを伝えると、店員の女性はこんなことを言った。
「私も中学に入った姪にせがまれ買ってあげたんですよ。これを」
 と差し出したのが、オモチャのようなBABY-G。それも目が痛くなるような色だ。
「えっ、こんなすごい時計をつけて学校に行くの?」
 僕は驚いてそう言った。彼女はかぶりを振った。
「時計は学校にしていかないんですって。だったら、普段着にはこういう方がカワイイですからね」
 そうなんだ。知らなかった。妻は「そうね、カジュアルな服だったら、こっちの方がいいわよね」と早くも現実に向き直っている。確かに、携帯電話が氾濫する世の中で、学校に腕時計というよりも、ファッションとして普段の服装に似合う方がいいのかも知れない。ふうむ。

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 朝日新聞の文化欄を読んでいたら、面白い特集があった。雑誌「宝島」がビジネス情報誌化した、というものだ。

 80年代に宝島を読んでいた僕からすると、エキセントリックなサブカル情報誌というか、ハイエンド・オタク総合誌というか、メインストリームを斜に構えた読者のための雑誌という印象が強い。90年代ごろにグラビアアイドルやヌード路線に転換したため、雑誌を手に取る機会を失っていたけれど、そこからインターネットに路線変更し、今や硬派のビジネス情報誌になったようだ。このメタモルフォースは実に意表をついている。
 雑誌自体、あまりにもサブカルチックなイメージがあるので、なんでまたビジネス? と思ってしまうんだけど、もちろん朝日の記者もそこにフォーカスを当てていた。評論家の言葉を借りてそのテーマを浮き出させる。今や硬派のビジネス情報がニッチ(隙間)なのだ、と。そんなのはサブカルと違うと拒絶するのは、考え方が古くなった人たちのどうしようもないノスタルジーなのだ、と。

 硬派のビジネス情報がニッチでサブカルというのはあまり賛同できないけど、いつの時代も現在の状況を否定しようと思う気持ちがノスタルジーだというのはまさしくその通りだ。昔はなんたやら。僕の時代はなんたやら。くどくど…。

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 さすがに、妻と女性店員を向こうに回してカワイイ論を戦わせるほどその道に通じているわけでもなし、違和感を持ちながらも観念することにして、中でも一番スマートで透明感があって比較的おとなし目のブルーのBABY-Gを購入することにした。イルカアクション付きのやつだ。

 この違和感がノスタルジーなんだろうな――そう思いながら液晶を見ると、今ごろ気づいたの、とでも言いたげにイルカが身体をフリフリと動かした。

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 中盤に自由を、ディフェンスには愛を…じゃなかった、ディフェンスに深さを、のスローガンで始まったジーコ監督率いる新生日本代表も4試合を経た。この4試合のプレゼンテーションからジーコ監督が僕たちに語りかけている方法論に対して、まだ4試合なのにも関わらず疑問を感じている人たちは多いに違いない。そこにノスタルジックな違和感を感じるからだ。もちろん、僕も含めて。

 ただ、好き嫌いという嗜好は別とすると、古いから悪い、新しいから良い、という感覚はない。大袈裟に言えば、中盤が安物のスポンジケーキのようにスカスカで、ディフェンスラインが明日への希望を消してしまうほど深かったとしても、イタリアに勝ち、ブラジルを退け、アルゼンチンを平伏させ、フランスを崩壊させ、ドイツを撃ち破ってくれるのであれば、問題はない。近代理論じゃなくとも、プレッシングサッカーじゃなくても、勝てる方法論はあればあるほど良いのだから。

 遅かれ早かれ、5月下旬からの8試合で、日本の中盤に戦術的なしばりをせずに世界と戦えるのかどうか、の指標はでる。もしかすると、感じている違和感は、ジーコ監督のノスタルジーではなく、僕たちのノスタルジーなのかも知れない。目から鱗が落ちるような、輝く新しい平原が見える可能性だってある。
 それが小さな可能性だとしても……ね。