2002年12月12日 源流 

 テレビのリモコンを操作していたら、おじさんがちょこんと座っている画面が現れた。そのおじさんは、少し大きめだけど品の良いツィードのジャケットを羽織り、妙にニコニコしながら喋っていた。その笑顔がとてもシャイで、少し惹かれてしまった。おいおい。おじさんに惹かれるなんて、いったい……。
 
 どうやらこの番組は、学生を集めた席でのトークショーのようだ。拍手や笑い声が入り交じりながら話は続いている。僕はリモコンを動かす手をとめて、しばらくのあいだ見てみることにした。そのうちあることに気付いた。頬を赤らめたそのおじさんは、つっかえつっかえでぎこちないんだけど、まるで息にダイヤモンドの塵でも吹きかけているかのように、きらきらした言葉を喋るのだ。僕と妻は、見入ってしまうことになった。

 しばらくの間、映像を交えたトークショーが続き、その後に学生たちの質問が始まった。その中のひとりの学生が訊ねた。

 あなたは、若い頃に、想像力や独創性がどのくらいあったのですか。

 おじさんはキュートに片眉をあげて、はにかみながらも、さも面白かった経験を独白するかのように話しはじめた。

「なんにもなかった」
 おじさんがにこりと笑う。会場がどよめく。
「僕の中には、うーん、恐怖のようなものしかなかったよ。それをずっと見つめていただけだ。でも僕はイタズラ好きだったから、僕の中の恐怖をみんなにも見せようと考えたんだ」

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 僕には想像力や独創性なんてなかった。自分の中の恐怖をみんなに見せようとしただけだ。
 スティーヴン・スピルバーグはそう言うんだけど、得てして他人に伝えるための創造性なんてそんなもので、えいやこらさと修行をして手に入れるものではない。自分の内面にあるなにかを演出するための工夫が、外部から見た時に想像力と呼ばれる新しいブランドのジャケットになっているだけだ。

 ただ、この際に考えたいこと。
――自分の内面の奥深さ(冥さを含む)と、演出する工夫の洗練度。そのどちらがより強く源泉に働きかけているか。
 これには個人差がある。

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 先日、パルマ対レッジーナを見て、中田英寿と中村俊輔のプレーを眺めながらそんなことを考えていた。この二人が僕たちに与える創造性とは、実にテクニックの洗練度的なものだな、って。罪深いプレーではないし、イタズラ好きなプレーでもない。
 それは逆に言うことも出来て、僕たちの心を大きく揺さぶるようなプレーができる伸びしろを持っている、ということでもある。伝道師が現われること、それがジーコ監督であることを望みたい―。

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 しかし、スティーヴン・スピルバーグのチャーミングさには参ってしまう。こんな台詞が平然と口にできるようなオヤジになることを、僕のこれからの人生の目標にしようと思っています。うん。